English

恒藤規隆 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正五位、勳五等
爵位・身分・家柄東京府在籍
職業農學博士、ラサ島燐礦(株)社長
性別男性
生年月日安政四年正月 (1857)
親名・続柄
家族妻 スミ 明一〇、八生、島根、士、勝田淳叔母
養子 恭 明二一、一二生、長女まさ夫、島根、井川亮弟、正六位、京都帝國大學經濟學部助教授、同志社大學教授
女 まさ 明二九、一一生、養子恭妻
記述部分(略伝)君は大分縣士族恒藤祐三郞の弟にして安政四年正月を以て生れ明治二十八年分れて一家を創立す夙に大阪英語學校に學び尋で駒場農學校を卒業し農商務省に出仕して獨逸人フエスカ博士と共に本邦の土性調査及其施設計畫に任じ地質局土性課長地質調査所技師等に歷任し尋で歐米各國の土性及生産地の實況を調査し歸朝するや農學博士の學位を授けらる後再び歐洲に航し肥料礦物産地の視察及肥料製造に就き硏究する處あり同三十四年農商務省に肥料礦物調査所の設置せらるるゝや該所長に任ぜられ同三十六年肥料調査結了後官を辭し專ら肥料礦物調査のことに從ひ内地は勿論南方諸島の探檢に力を盡し遂に沖繩縣管下ラサ島の燐礦石大産地たることを發見しラサ島燐礦合資會社を創立して社長となり間もなくラサ島燐鑛株式會社を興して之と合併す現に其社長たり更に燐礦石海鳥糞の産地を發見し之に新南群島と命名し現に採掘に從事しつゝあり尚盛岡鹿兒島三重宇都宮各高等農林學校及鳥取高等農業學校講師たり
家族は尚孫武二(大八、八生、養子恭二男)同初子(同一二、一〇生、同長女)あり
女フシ(明三二、一一生)は男爵有馬純長に妹トヨ(元治元、七生)は東京府士族宇田川準一に嫁せり
住所・電話番号東京、牛込、若宮町三六 電牛込一四九〇
参照人物(親類)男爵有馬純長、※佐伯常麿
参照次数2 (※なし1)
読みつねとう のりたか
別名
画像を表示