高村光雲 (8th Edition [July 1928] )
Rank/ Honors/ Grade | 從三位、勳二等 | |
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Title/ Family rank etc. | 東京府在籍 | |
Occupation | 東京美術學校名譽教授 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 嘉永五年二月 (1852) | |
Parent and relation | 中島兼吉の二男 | |
Family | 男 光太郞 明一六、三生 男 道利 明一九、四生 男 豐周 明二三、七生 婦 美和 明三五、八生、三男豐周妻、東京、松田登三郞二女 女 喜子 明二七、一二生 | |
Biography | 君は東京府人中島兼吉の二男にして嘉永五年二月を以て生れ幼時彫刻の名家佛師高村東雲の徒弟となり明治七年師の姉高村ゑつの養子となる曾て其彫刻物を龍池會の觀古美術會に出品して識者の賞讃を博し名聲漸く顯る東京彫工會の成るや推されて其常務委員となり後東京美術學校の教授となり帝室の用命を拜すること一再ならず又貴顯の御前に於て其技を上覽に供し恩賜を蒙ること數囘其他製作品を内外の博覽會に出品し名譽ある賞牌を受け又公私の博覽會審査委員を囑託せられしこと枚擧に遑あらず彼の楠公銅像の楠公は君の代表的傑作なりといふ曩に帝國美術院會員たり 四男孟彦(明二五、一〇生、工學士)は東京府人藤岡福三郞の養子となり二女靜(同一九、四生)は同府人山端寅三に嫁せり | |
Address phone | 東京、本鄕、駒込林町一五五 電小石川一一八二 | |
Relative | 松田登三郞,※宮下友雄 | |
Degree | 2 (except※1) | |
Pronounciation | たかむら こううん | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- First Edition [April 1903]
- 4th Edition [January 1915]
- 8th Edition [July 1928]