松田登三郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 大倉土木(株)常務取締役、大平建築(株)取締役、小館木材(株)監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年八月 (1867) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 よね 明九、八生、東京、砂崎庄次郞長女 男 定信 明二九、一〇生、英國劍橋大學出身、商工省商務局勤務 婦 キミ 明三六、五生、長男定信妻、東京、苗村又右衞門孫 男 信行 明三八、八生、立教大學在學 | |
記述部分(略伝) | 君は香川縣人松田藤太郞の弟にして慶應三年八月を以て生れ明治二十九年分家して一家を創立す夙に工手學校建築科を卒業し大倉組に入り爾來四十有餘年勤續し幾多の大建築工事及設計監督に當れり現に大倉組の分身たる大倉土木會社常務取締役たる外前記諸會社の重役たり 家族は尚孫榮夫(大一四、七生、長男定信長男)あり 長女富美(明三四、三生、山脇高等女學校出身)は長野縣人宮下友雄弟醫學博士縣立宇都宮病院副院長義雄に二女美和(同三五、八生、出身校同上)は彫刻家高村光雲三男美術學校教授豐周に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、臺町二七 電青山三七八一 | |
参照人物(親類) | 高村光雲、苗村又右衞門、宮下友雄、※小林藤右衞門、※久田益太郞 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | まつだ とさぶろう | |
別名 |