高村光雲 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 東京美術學校教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永五年二月十八日 (1852) | |
親名・続柄 | 中島兼吉の二男 | |
家族 | 妻 わか 安政五、一〇生、東京、平、金谷清吉養女 男 光太郞 明一六、三生 男 道利 明一九、四生 男 豐周 明二三、七生 男 孟彦 明二五、一〇生 女 喜子 明二七、一二生 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府人中島兼吉の二男にして嘉永五年二月十八日を以て生る幼時彫刻の名家佛師高村東雲の徒弟となり明治七年師の姉高村ゑつの養子となる曾て其彫刻物を龍池會の觀古美術會に出品して識者の賞讃を博し名聲漸く顯る東京彫工會の成るや君推されて其常務委員となり同二十二年東京美術學校の雇となり尋て同校教諭より教授に進み現時其職に在り君帝室の用命を拜する一再ならず又貴顯の御前に於て其技を上覽に供し恩賜を蒙ること數回其他製作品を内外の博覽會に出品し名譽ある賞牌を受け又公私の博覽會審査委員を囑托せられし事枚擧に遑あらず 二女靜(明一九、四生)は東京府平民山端寅三に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、駒込林町一五五 電話下谷四一六四 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | たかむら こううん | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]