榊保三郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 醫學博士、文學博士、醫師 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年四月 (1870) | |
親名・続柄 | 榊令輔の三男 | |
家族 | 妻 梅 明一四、二生、男爵加藤成之叔母 男 磐彦 明三四、八生、九州帝國大學醫學部在學 婦 壽子 明四一、九生、長男磐彦妻、東京、川田鐵彌二女、三輪田高等女學校出身 女 鶴子 明四二、四生、雙葉高等女學校出身 女 日出子 明四五、六生 | |
記述部分(略伝) | 當家は累代伊勢國舊津藩に仕へて江戸定府たり 君は舊幕開成所教授たりし故榊令輔(後に綽と改む)の三男にして故醫學博士榊俶醫學博士榊順次郞の弟なり明治三年四月を以て生れ同三十年先代兄俶の後を承けて家督を相續す同三十三年東京帝國大學醫科大學を卒業し大學院に入り同大學助手となり同三十五年同大學助教授に任ぜらる翌年精神病學硏究の爲獨逸に留學を命ぜられ又萬國衞生學會の創立委員及日本代表委員に擧げられ次で羅馬に開かれたる萬國心理學會議に參列仰付けらる其後京都帝國大學助教授福岡醫科大學助教授に轉じ同三十九年福岡醫科大學教授に進み九州帝國大學の設立せらるゝや同大學教授に任ぜられ大正十四年海外視察を命ぜられ次で官を辭す精神神經病學及心理學に關し多數の硏究と著作を爲し今猶著述に專心し益々我邦精神心理學界に顯はる先是明治三十九年醫學博士同四十四年文學博士の學位を授けらる音樂を好み斯道に堪能なり 家族は尚二男保彦(大一〇、七生)あり 姉トク(慶應元、四生)は醫學博士岡田和一郞に姪令(明二七、一生、亡兄俶二女)は醫學博士佐藤彰に同八重子(同二九、二生、同三女)は兄順次郞の養子となり三菱社員法學士島村秀雄に嫁せり | |
住所・電話番号 | 福岡市警固九六三 電九二 | |
参照人物(親類) | 男爵加藤成之、岡田和一郞、川田鐵彌、佐藤彰、榊順次郞、※公爵山縣有道、※子爵濱尾四郞、※加藤晴比古、※金子圭介、※俵國一、※增田義一 | |
参照次数 | 11 (※なし5) | |
読み | さかき やすさぶろう | |
別名 |