福岡孝弟 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊高知藩士 | |
職業 | 樞密顧問官、議定官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保六年二月五日 (1835) | |
親名・続柄 | 福岡左近兵衞の二男 | |
家族 | 男 秀猪 明四、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊土佐藩士亡福岡左近兵衞の二男にして天保六年二月五日を以て生る福岡雄次▲養嗣子となり其後を享けり夙に王政復古の大義を唱へ藩主山内容堂の建白書を捧け小松帶刀後藤象次郞等と將軍に二條城に謁し大政奉還の議を勸め其決意を促せり後參與に任せらる彼の五ケ條の御誓文は君の起草に係ると云ふ明治元年徵士參與職制度事務局判事に任せられ後元老院議官となり同十四年參議兼文部卿に昇任し同十七年華族に列し子爵を授けらる後顯要の諸官を歷任し賞勳局議定官を經て現に樞密顧問官たり從二位に陞り勳一等に叙せらる 養子絹子(安政六、五生)は伯爵板垣退助に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、金富町五九 電話番町六九一 | |
参照人物(親類) | 伯爵板垣退助、福岡秀猪 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | ふくおか たかちか | |
別名 |