福原有信 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 帝國生命保險株式會社々長、博多灣鐵道株式會社專務取締役、小田原電氣鐵道株式會社、關東酸曹株式會社各取締役、相模水力電氣株式會社相談役、東京商業會議所▲別議員、資生堂、藥種商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年四月八日 (1848) | |
親名・続柄 | 福原市左衞門の二男 | |
家族 | 妻 とく 安政元、二生、東京、平、鈴木喜三郞長女 男 信一 明九、一〇生 婦 よね 明二二、九生、長男信一妻、東京、平、北岡文兵衞四女 男 信三 明一六、七生、千葉醫學專門學校藥劑科出身 男 信辰 明二五、一生、慶應義塾在學 | |
記述部分(略伝) | 君は千葉縣平民福原市左衞門の二男にして嘉永元年四月八日を以て生る夙に醫學を修め藥劑師試驗に合格し一度官に仕へしも實業に從事するの有利なるを看取し藥種商を營み商號を資生堂と稱す尚前記諸會社の重役たり所得税二千七百餘圓營業税四百三十餘圓を納む 家族は前記の外五男信義(明三〇、九生)孫初子(同四三、三生、長男信一長女)同信和(同四四、一一生、同長男)同富士子(大二、一一生、同二女)あり 長女とく(明六、二生)は千葉縣平民館山病院長醫學士川名正吉郞弟傳夫に二女ゆう(同一八、一一生)は東京府平民天野七三郞に三女信(同二一、八生)は福岡縣平民野依範治長男辰治に四女美枝(同二七、九生)は男爵澁澤榮一次男武之助に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、京橋、出雲町一 電話新橋三二四 | |
参照人物(親類) | 男爵澁澤榮一、北岡文兵衞、天野七三郞、野依範治、※田畑健造、※北岡鶴松 | |
参照次数 | 6 (※なし4) | |
読み | ふくはら ありのぶ | |
別名 |