松平忠禎 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正四位、勳四等 | |
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Title/ Family rank etc. | 子爵、舊上野小幡藩 | |
Occupation | 陸軍步兵少尉,明治興業株式會社,東京實業銀行各取締役 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 明治二年五月十六日 (1869) | |
Parent and relation | 間部詮勝の十男 | |
Family | 妻 雪子 明二、一一生、養父忠恕女 男 忠相 明三六、一一生 女 都子 明三〇、七生 女 鎭子 明三三、八生 | |
Biography | 當家は源經基八世の孫德川四郞義季十二代松平親忠九世乘久の長男忠尚の後なり忠尚德川氏の命に依り下總守松平忠弘の養子となり後更に新地二萬石を賜はり別に一家を成す五世を經て先代忠恕に至る明治二年上表して藩籍を奉還し同十七年男爵を授けられ同三十五年卒す君其跡を承く 君實は子爵間部詮信の大叔父にして詮勝の十男なり明治二年五月十六日を以て生れ同二十四年八月先代の養子となり同三十五年五月家督を相續し襲爵仰付らる夙に學習院に學ひ明治二十六年以降軍籍に入り臨時陸軍檢疫部事務官近衞步兵第四聯隊補充大隊第二中隊附學習院學生副官等に補せらる曩に互選に依り貴族院議員たりしことあり日露事件の功により勳四等に叙し旭日小綬章を賜はる 家族は前記の外二男忠茂(明三九、一〇生)三男忠親(同四一、三生)あり 弟銑之助(同二九、七生)は群馬縣人松平銀太郞の養子となり長女金子(同二五、九生)は東京府人林治信に嫁せり | |
Address phone | 東京、小石川、大塚坂下町四〇 | |
Relative | 子爵間部詮信 | |
Degree | 1 (except※1) | |
Pronounciation | まつだいら | |
Another name |