池田謙齋 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正三位、勳一等 | |
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Title/ Family rank etc. | 男爵、舊長岡藩士 | |
Occupation | 醫學博士,宮中顧問官,陸軍一等軍醫正 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 天保十二年十一月一日 (1841) | |
Parent and relation | 入澤健藏の二男 | |
Family | 養母 久 文政一二、一〇生、鹿兒島、士、左近四郞左衞門長女 男 秀男 明三、一二生、正五位勳六等、陸軍一等軍醫 婦 房 明一四、七生、長男秀男妻、男爵沖貞男姉 男 充四郞 明二一、二生 男 友五郞 明二二、三生 女 斐子 明二六、三生 男 廣之 明二七、一二生 | |
Biography | 君は新潟縣平民故入澤健藏の二男にして天保十二年十一月一日を以て生る夙に洋學を研鑽し緖方洪庵の門に遊ぶ後同氏の養子となり後復池田秀眞の養嗣子となる元治元年幕府の命に依り長崎へ派遣せられ醫學を修め明治維新の際病院醫師試補に擧げられ後病院醫師となる明治三年普國に留學を命せられ居ること二年歸朝後陸軍軍醫監に任せられ同十年東京醫學校長の任を囑せらる同年東京帝國大學醫學部總理に任せられ二等侍醫を兼ぬ同十九年侍醫局長官に任せられ同二十八年功を以て勳一等に叙し瑞寶章を授けらる同三十年陸軍一等軍醫正となり同三十一年功を以て特に男爵を授けられ錦鷄間祗候仰付らる同三十五年宮中顧問官に任せられ正三位に叙す 家族は前揭の外八男菊男(明三一、九生)庶子男駿次(同三五、四生、生母、東京、平、島村はつ)同駿三(同三六、九生、生母同上)庶子女榮(同三七、九生、生母同上)孫秀一(同三六、一二生、長男秀男長男)同佐知子(同三八、一〇生、同長女)同美惠子(同四〇、七生、同二女)同眞治郞(同四三、七生、同二男)同正子(同四五、一生、同三女)同恭(同四五、三生、二男治郞長女)同三郞(大二、八生、同三男)あり 二男治郞(明一一、五生)は其妻と共に子爵安部信順の養子となり同家を相續す庶子女捨子(同二一、八生、生母、東京、平、島村はつ)は東京府平民島村亥之吉方へ入家し同清子(同二六、四生、生母同上)は新潟縣平民竹内祐に嫁せり | |
Address phone | 東京、神田、駿河臺北甲賀町九 電話本局七三三 | |
Relative | 男爵沖貞男,子爵安部治郞,※子爵海江田幸吉 | |
Degree | 3 (except※2) | |
Pronounciation | いけだ けんさい | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- First Edition [April 1903]
- 4th Edition [January 1915]