池田謙齋 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、錦鷄間祗候 | |
職業 | 醫學博士、宮中顧問官、後備陸軍一等軍醫正 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十二年十一月一日 (1841) | |
親名・続柄 | 緖方洪庵の二男 | |
家族 | 養母 ひき 文政十二年十月生鹿兒島縣士族左近元四郞左衞門長女 妻 甲子 元治元年四月生養父秀眞三女 男 秀男 明治三年十二月生 同 次郞 明治五年五月生 女 とし 明治十三年一月生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊越後長岡藩士緖方洪庵の次男にして故池田秀眞の養子なり天保十二年十一月一日を以て生る明治維新の際兵部省醫師試補に擧げられ後大學に入り又少醫典に進む同三年特命を以て獨逸に航し醫學を研究し九年歸朝陸軍々醫監大學醫學部總理の任を負ひ同年六月從五位に同廿八年勳一等に叙せられ同三十年陸軍一等軍醫正に同三十一年錦鷄間祗候を仰付らる同年華族に列せられ男爵を賜ひ三十五年十月宮中顧問官に任ぜらる 前記家族の外充四郞(明治二十一年二月生)友五郞(明治二十二年三月生)斐子(明治二十六年三月生)廣之(明治二十七年十一月生)菊男(明治卅一生九月生)駿次(明治三十五年四月生)の四男二女あり 男謙三(明治十六年三月生)は東京府士族薪炭商鈴木音藏の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京市神田區駿河臺北甲賀町九 電話本局七三三 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | いけだ けんさい | |
別名 |