黑木爲楨 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳一等、功一級 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 後備陸軍大將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化元年三月十六日 (1844) | |
親名・続柄 | 帖佐爲右衛門の三男 | |
家族 | 妻 ヒヤク 明元、三生、伯爵黑田清仲養子勳四等 男 三次 明一七、一二生、正五位 男 清 明二六、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士帖佐爲右衛門の三男にして弘化元年三月十六日を以て生れ慶應二年同藩士黑木萬左衛門の養子となり家督を相續す戊辰の役伏見淀橋本に出征し尋て奥羽の各地に轉戰して功あり明治四年陸軍大尉に任せられ爾後身を軍籍に列し累進して同三十六年大將に陞り軍事參議官に親補せられ同四十二年後備役仰付らる西南の役別働第一旅團第一聯隊長として出征し功により勳四等に叙せら日清戰役に際しては第六▲團長として出征し偉功を樹て功三級金鵄勳章を賜ひ特旨を以て華族に列し男爵を授けられ日露戰役には陸軍大將第一軍司令官として強露を征討し連戰連勝其勳功の偉大なるは普く人の知る所なり同四十年功を以て勳一等に陞叙し功一級金鵄勳章を賜はる同年九月特に伯爵に陞爵せらる 長女つね明一〇、四生)は東京府士族川田鷹に二女愛子(同二一、一二生は男爵高橋是清長男是賢に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山南町六ノ一一六 電話芝一〇五 | |
参照人物(親類) | 伯爵黑田清仲、男爵高橋是清、川田鷹 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | くろき ためもと | |
別名 |