九鬼隆輝 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊攝津三田藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年十二月二十八日 (1871) | |
親名・続柄 | 九鬼隆義の七男 | |
家族 | 妻 鋪子 明五、一一生、子爵、朽木綱貞姉 男 隆興 明一七、一一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は内大臣藤原鎌足十一代從一位小一條左大臣師尹の後なり後二十三世を經て大隅守嘉隆に至る嘉隆豐臣秀吉に從ひ屢軍功あり朝鮮の役水軍の將たり關ケ原の役石田三成に黨して家殆んと斷絶せんとす其子長門守守隆東軍に與して功あり志州鳥羽に於て封五萬六千石を領す五男久隆父守隆の遣言に依り攝州三田に於て三萬六千石に封せらる久隆より十二世隆義は宗家九鬼家より入り 君は其七男にして明治三年十二月二十八日を以て生れ同二十四年三月家督を相續し襲爵仰付らる君幼名を摩爾と云ふ同二十一年米國に留學し病魔に侵され學業央にして歸朝す三十三年從四位に叙せられ尋て正四位に陞叙せらる 家族は前記の外二男隆顯(明二九、一一生)庶子男隆久(同三五、六生、生母、西タキ)同女輝子(同三二、一生、兵庫縣人吉田ミチ)同登美子(同三六、一〇生、生母、松井しか)同男隆尚(同三七、一生、生母、西タキ)同女忠子(同三八、三生、生母同上)あり 弟亞禮(同一〇、六生)同秀若(同一三、二生)は分家し姉好子(同二、四生)は侯爵松方正義三男幸次郞に妹憲子▲同一六、一二生)は東京府平民寺島豐次郞に同むめ子(同二四、一生)は大阪府平民上野理一長男精一に嫁せり | |
住所・電話番号 | 兵庫、武庫、須磨町ノ内西須磨六九 | |
参照人物(親類) | 子爵九鬼隆治、子爵朽木綱貞、上野理一、松方幸次郞 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | くき たかてる | |
別名 | 摩爾 |