太秦供康 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊興福寺中慈尊院住職 | |
職業 | 陸軍步兵少佐、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年十月二十九日 (1866) | |
親名・続柄 | 堀河親賀の三男 | |
家族 | 養母 周子 天保一三、一生、子爵高倉永則養大叔母 妻 信子 明八、六生、子爵山井兼文妹 男 康光 明三二、三生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の末裔櫻井供親の創立する所なり供親南都興福寺中慈尊院の住職たり明治元年四月復飾して堂上の列に加へられ太秦と稱す 君は其後にして實は故堀河親賀の三男子爵堀河護麿の叔父なり慶應二年十月二十九日を以て生れ明治四年十一月先代の養子となり同八年三月華族に列し同十七年七月男爵を授けらる十八年九月陸軍士官學校に入學同二十一年七月陸軍步兵少尉に同三十年十月大尉に進み三十二年五月皇族附武官となり陸軍省出仕を兼ね現時陸軍步兵少佐に累進して正四位勳四等に叙せらる 家族は前記の外長女登美子(大二、一生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山南町六ノ一四七 | |
参照人物(親類) | 子爵山井兼文、子爵堀河護麿、子爵高倉永則 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | うずまさ ともやす | |
別名 |