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長與立吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄男爵、東京府華族
職業
性別男性
生年月日明治三十一年二月三日 (1898)
親名・続柄 長與稱吉の長男
家族祖母 ソノ 嘉永二、四生、長崎、士、後藤多仲長女
母 延子 明一〇、三生、伯爵後藤保彌太叔母
姉 美代 明二八、三生
妹 仲子 明三三、一生
叔父 又郞 明一一、四生
叔母 玉 明二三、九生、叔父又郞妻、東京、平、森村勇姉
叔父 善郞 明二一、八生
叔母 茂 明二七、一生、叔父善郞妻、長野、平、市川常吉三女
記述部分(略伝)當家は先々代故從三位勳二等長與專齋より顯はる專齋夙に醫學を修め屢歐米に遊ひ醫學教育醫事衞生制度を視察研究し文部省醫務局長内務大書記官衛生局長東京檢疫局幹事長元老院議官日本藥局方調査委員長貴族院議員宮中顧問官中央衞生會長等となり本邦醫界に貢獻せしところ甚た多し今日我國に種痘を普及せしめたる端緖實に君の力に依る次代を稱吉と云ひ明治十六年歐洲に遊ひ獨逸國ミユンヘン、ウルツブルグ大學に入り醫學を修め卒業するや擧けられて同校助手となり其間幾多の研究と實驗とを重ね二十六年ドクトルの學位を得て歸朝後長與胃腸病院を設立して其の院長となり醫學博士の學位を授けられ胃腸病の大家を以て稱せらる四十三年八月專齋の勳功に依り特に華族に列し男爵を授けられ同九月病を以て逝く
君は其長男にして明治三十一年二月三日を以て生れ同四十三年九月家督を相續し襲爵仰付らる
家族は前記の外從妹桃子(明四四、八生、叔父又郞長女)從弟太郞(大二、一二生、同長男)あり
叔父程三(明八、二生)は其妻サワ(同二二、一〇生、神奈川、平、茂木惣兵衛養叔母)を伴ひて分家し叔母ミチ(同一八、一二生)は茨城縣平民平山金藏に同保子(同五、三生)は侯爵松方正義長男巖に嫁し叔父裕吉(同一六、九生)は東京府士族岩永省一の養子となれり
住所・電話番号東京、赤坂、新坂町六七 電話芝五二〇三
参照人物(親類)伯爵後藤保彌太松方巖茂木惣兵衛森村勇平山金藏、※男爵岩崎小彌太、※竹内勝藏、※松田祐作
参照次数8 (※なし5)
読みながよ りゅうきち
別名
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