後藤保彌太 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、東京府華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十九年五月二十一日 (1896) | |
親名・続柄 | 後藤猛太郞の子 | |
家族 | 祖母 雪子 弘化四、四生、男爵岩崎久彌養姉 母 ヨイ 明三、一二生、東京、士、若山鉉吉養子 姉 ナヲ 明二七、五生 | |
記述部分(略伝) | 當家は後藤又兵衞政次の後にして代々高知藩士たり先々代象二郞大政奉還の爲めに斡旋頗る力め明治四年參議となり同六年征韓論破るゝや挂冠して野に下り板垣退助副島種臣等と共に民選議院設立の建白を爲し同二十一年大同團結を唱へて自ら其領袖となれり同二十二年再び仕官して以降遞信大臣農商務大臣に歷任す勳功に依り特に華族に列し伯爵を授けらる 君は其嫡孫にして明治二十九年五月二十一日を以て生れ大正二年十二月父猛太郞の歿後を繼ぎ襲爵仰付らる 家族は前記の外弟良輔(明三一、一生)同三郞(同三三、一二生)妹孝子(同三八、一〇生)弟紫郞(大二、二生)あり 姉靜節(明一八、一生)は熊本縣士族三輪龍揚に叔母五十子(同二〇、一〇生)は佐賀縣士族成富儀平次長男公三郞に伯母早苗(安政四、一生)は男爵岩崎小彌太先代彌之助に叔母延子(明一〇、三生)は男爵長與立吉父稱吉に嫁し叔父六彌(同七、七生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、紀尾井町三 電話特長番町二七〇三 | |
参照人物(親類) | 男爵岩崎小彌太、男爵岩崎久彌、男爵長與立吉、三輪龍揚 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | ごとう やすやた | |
別名 |