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長井長義 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從三位、勳二等
爵位・身分・家柄東京府士族
職業理學博士、藥學博士、東京帝國大學醫科大學教授、日本藥局方調査會長、私立獨逸學協會中學校長
性別男性
生年月日弘化二年六月二十日 (1845)
親名・続柄 長井琳章の長男
家族妻 シユーマヅヘルデレーゼ 西曆一八六二、一〇生(文久三年生)獨逸國人マリヤ、マンデ、シユー、マツヘル長女
男 亞歷山 明二〇、一生、法學士
婦 多計代 明二四、五生、長男亞歷山妻、男爵目賀田種太郞五女、御茶水高等女學校出身
男 維理 明二五、五生
女 ヱルザ 明二一、四生
弟 平吉 安政二、一二生
弟妻 まさ 文久二、五生、弟平吉妻、東京、士、亡富田七十郞二女
姪 癸巳 明二六、四生、弟平吉長女
姪 治 明三三、五生、弟平吉二女
記述部分(略伝)君は德島藩士長井琳章の長男にして弘化二年六月二十日を以て生る明治二年句讀師より少寮長心得となる同三年普國に留學し同九年内務省傭となる同十年歸朝翌年再ひ佛國に留學を命せられ同十六年歸朝東京帝國大學教授に任せられ後理學博士藥學博士の學位を受領し現に東京帝國大學醫科大學教授の要職にあり尚日本藥局方調査會長私立獨逸學協會學校中學校長を兼ぬ
家族は前記の外甥濟(明二九、一生、弟平吉長男)あり
弟妻光枝(元治元、八生、亡弟新吉妻、東京、士、津田完元長女)は其子女を伴ひ分家し弟參吉(文久三、七生)も亦分家せり
住所・電話番号東京、豐多摩、澁谷町青山南町七ノ三 電話芝二六一〇
参照人物(親類)男爵目賀田種太郞、※門野重九郞、※高田正一
参照次数4 (※なし1)
読みながい ながよし
別名
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