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園田實德 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級勳六等
爵位・身分・家柄鹿兒島縣士族
職業函館水電株式會社取締役會長、小樽電氣株式會社々長、株式會社北海道銀行、日本煉炭株式會社、朝鮮水産株式會社、北海道瓦斯株式會社、東洋製糖株式會社各取締役、武藏電氣鐵道株式會社監査役
性別男性
生年月日嘉永元年十二月二十日 (1849)
親名・続柄 園田彦左衞門の長男
家族妻 キン 安政元、三生、福島、士、大庭紀一二女
男 清彦 明一九、四生、バチヱラ、オブ、アーツ
記述部分(略伝)君は鹿兒島縣士族先代園田彦左衞門の長男にして嘉永元年十二月二十日を以て生れ明治十六年七月家督を相續す幼にして藩公の小姓を勤め故南洲翁の知遇を受け維新の際翁に從ひて各地に轉戰して勳功あり西南の役官軍に投じ肥薩の間に戰つて負傷す功により勳六等に叙せらる明治五年黑田清隆の北海道開拓使次官となるや君其屬官となる同十四年官を辭して實業界に入り北海道共同運輸會社を創立す後同社の日本共同運輸會社と合併するや君函館支店長となり後又組織を變更して日本郵船會社と改稱するに及ひ前職を襲けり又堀基等と北海炭礦會社を興し其理事に選はる君曾て函館港に船渠製造の必要を感し函館船渠株式會社の設立に瘁し其社長となり後之を辭し現時前記銀行會社の重役として我邦屈指の實業家として知ちる
長女のぶ(明一〇、五生)は侯爵西鄕寅太郞に二女とく(同一二、九生)は東京府人石丸龍太郞に三女まつ(同一七、一生)は鹿兒島縣士族川上左七郞長男忠介に四女千代(同二一、六生)は大藏書記官鈴木繁に六女むめ子(同二七、四生)は男爵柴山矢八嗣子昌生に嫁せり五女つる)同二五、一一生)は北海道士族武千代方に入家せり
住所・電話番号東京、芝、西久保巴町二九 電話芝六一二
参照人物(親類)侯爵西鄕寅太郞、男爵柴山矢八石丸龍太郞川上左七郞鈴木繁
参照次数5 (※なし5)
読みそのだ さねのり
別名
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