曾禰安輔 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、東京府華族 | |
職業 | 北海道拓殖銀行員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十三年二月十七日 (1880) | |
親名・続柄 | 曾禰荒助の長男 | |
家族 | 母 テル 安政五、六生、祖父祥藏長女 妻 マス 明二五、四生、陸軍軍醫總監、醫學博士、菊池常三郞長女 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代曾禰荒助より顯はる荒助夙に仕官して始め身を軍籍に列し明治五年佛國留學を命せられ同十年歸朝後轉して參事官に任し爾來法制局參事官内閣記錄局長同官報局長法制局書記官等に歷任し同二十三年議會開設に際し衆議院書記官長に擧けらる同二十五年鄕里山口縣より推されて衆議院議員に當選し副議長となる同二十六年特命全權公使に任し佛國西班牙及葡萄牙等に駐劄し同三十一年一月司法大臣に同十一月農商務大臣に親任せられ同三十三年九月貴族院議員に勅選せらる同三十四年桂内閣の成るや大藏大臣となり臨時外務大臣を兼ね同三十五年日英同盟の勳功に依り華族に列し男爵を授けらる同三十六年遞信大臣を兼ね同三十九年樞密顧問官に任し馬政局長官を兼ね同四十年九月日露事件の功に依り子爵に陞され副統監に任し尋て伊藤公の後を襲ひ統監に進み同四十三年五月病を以て官を辭▲幾くもなく同九月薨す 君は其長男にして明治十三年二月十七日を以て生れ父の殁後を嗣き襲爵仰付らる現時北海道拓殖銀行に勤務し東京支店詰たり 家族は前記の外長女初子(明四四、八生)二女君子(大二、二生)三女稻子(同三、六生)妹敏子(明三七、一二生)弟駒雄(同三九、二生)同冬來(同四一、一二生)あり 弟寬治(同一五、五生)は伯爵芳川顯正の養子となり同豐三(同一六、七生)同又男(同一九、一一生)は各分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、櫻田町四九 電話芝五三 | |
参照人物(親類) | 伯爵芳川顯正、菊池常三郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | そね やすすけ | |
別名 |