菊池常三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳二等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 大阪府平民 | |
職業 | 醫學博士、回生病院長兼外科長、陸軍々醫總監 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政二年八月十五日 (1855) | |
親名・続柄 | 菊池宗恒の子 * | |
家族 | 妻 ヨネチヨ 文久三、一〇生、佐賀、士、牟田口通昭長女 男 武熊 明一六、七生、獨國留學中 婦 壽賀 明二六、九生、長男武熊妻、東京、士、平尾信壽四女 男 武國 明二四、三生 | |
記述部分(略伝) | 君は陸軍々醫監菊池篤忠の弟にして安政二年八月十五日を以て生れ明治二十九年七月分家して一家を創立す同十四年東京大學醫學部を卒業して醫學士の稱號を得同年六月陸軍軍醫副と爲り爾來累進して同四十年三月陸軍軍醫總監に任し豫備役仰付らる日露戰役の功に依り勳二等に叙し功二級金鵄勳章を賜はり又曩に醫學博士の學位を授與せらる現今回生病院長兼同院外科長たり 家族は前記の外三男武三(明三〇、三生)五女綾子(同三三、一生)六女千代子(同三四、二生)七女博子(同三六、三生)孫武正(大元、九生、長男武熊長男)あり 長女マス(明二五、四生)は子爵曾彌安輔に二女ヨシ(同二七、一〇生)は醫學士平松濤平に三女スマ(同二九、三生)は醫學士馬杉菘に嫁せり | |
住所・電話番号 | 大阪、北、絹笠町一五 電話東一四三七 「別邸」兵庫、武庫、西宮町 電話西宮一二一 | |
参照人物(親類) | 子爵曾禰安輔、菊池篤忠 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | きくち つねさぶろう | |
別名 |