冷泉爲系 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊公卿(和歌家) | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十四年八月九日 (1881) | |
親名・続柄 | 冷泉爲紀の長男 | |
家族 | 妻 恭子 明二一、一〇生、子爵水無瀨忠輔庶子女 男 爲臣 明四四、五生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の後裔御堂關白道長の六男權大納言長家の後にして世々和歌の宗匠たり長家より五代京極權中納言定家百人一首及ひ新古今集の選者として兒童と雖とも其名を知る長家の孫爲相別に一家をなして冷泉と稱す爲相其の兄爲氏と和歌邑の事にて爭あり爲相の母阿佛鎌倉幕府に訴へて爲相の勝に歸す此の間の消息より有名なる十六夜日記(阿佛尼著)は作られたるなり之れより十八代を經て從二位伯爵爲紀に至る 君は其長男にして明治十四年八月九日を以て生れ同三十八年十一月家督を相續す 家族は前記の外長女須賀子(明四〇、四生)二女比出子(同四二、四生)あり 叔父爲守(同元、四生)は出て〻子爵入江家を相續し叔母靖子(文久三、一二生)は伯爵山科言綏に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都、上京、今出川通烏丸東入玄武町四 | |
参照人物(親類) | 伯爵山科言綏、子爵水無瀨忠輔、子爵入江爲守、※久邇宮家 | |
参照次数 | 5 (※なし4) | |
読み | れいぜい ためつぎ | |
別名 |