玉利喜造 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 鹿兒島縣士族 | |
職業 | 農學博士、鹿兒島高等農林學校長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政三年四月二十五日 (1856) | |
親名・続柄 | 玉利甚兵衞の子 * | |
家族 | 妻 若 慶應三、四生、鹿兒島、士、谷村幸吉長女 男 幸次郞 明三三、三生 女 キク 明二三、一一生 女 花 明二七、三生 | |
記述部分(略伝) | 君は鹿兒島縣士族海軍中將玉利親賢の弟にして沖一誠の兄なり安政三年四月二十五日を以て生れ明治二十三年十二月玉利シモの養子となり大正元年八月家督を相續す同十三年駒塲農學校を卒業し農務局編輯に從事し後駒塲農學校助教授に任す同十七年米國へ留學し同二十年歸朝東京農林學校教授となり後農科大學助教授に任し同二十四年農科大學教授に進み同三十二年農學博士の學位を受領す同三十六年盛岡高等農林學校長に任し同四十二年鹿兒島高等農林學校長に轉し現に其職にあり 家族は尚二男三之助(明三六、二生)あり 三女梅子(同三〇、一生)は鹿兒島縣人谷村愛之助の養子となれり | |
住所・電話番号 | 鹿兒島市谷山町 | |
参照人物(親類) | 玉利親賢、沖一誠 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | たまり きぞう | |
別名 |