立花小一郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳三等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 福岡縣士族 | |
職業 | 陸軍中將、朝鮮駐劄憲兵隊司令官、朝鮮總督府警務總長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久元年二月十日 (1861) | |
親名・続柄 | 立花碩の長男 | |
家族 | 父 碩 天保七、六生 妻 カン 慶應二、九生、長野、士、伊澤文谷五女 男 日出男 明二四、三生 女 連子 明三三、一一生 弟妻 滿子 明七、九生、亡弟銑三郞妻、子爵曾我祐準二女 姪 蕃子 明三二、四生、亡弟銑三郞長女 | |
記述部分(略伝) | 君は福岡縣士族立花碩の長男にして文久元年二月十日を以て生れ明治二十六年四月家督を相續す明治十六年陸軍步兵少尉に任じ同二十年一月陸軍大學校に入り同二十二年十二月卒業す日清戰役には第一軍附參謀として出征し功を以て功五級金鵄勳章を賜はり同二十八年墺國留學を命ぜられ同三十二年六月歸朝北清事件に際し福島陸軍少將に從ひ北清聯合軍總指揮官司令部補佐たり日露戰役には第四軍參謀副長大本營附陸軍參謀として偉勳あり勳三等功三級金鵄勳章を賜はる同三十八年十一月特派全權大使隨員として清國に派遣せられ尋て米國大使館附となり後陸軍省副官に補せられ同四十二年陸軍少將に任じ步兵第三十旅團長に補せられ大正三年四月朝鮮駐劄憲兵隊司令官に轉補し朝鮮總督府警務總長たり同年八月陸軍中將に昇進す 家族は前記の外甥馨(明三〇、八生、亡弟銑三郞長男)あり 長女富士(同二六、八生)は京都府人鴨服光榮弟光弘に嫁せり | |
住所・電話番号 | 朝鮮、京城、憲兵隊司令部官舍 | |
参照人物(親類) | 子爵曾我祐準 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | たちばな こいちろう | |
別名 |