犬塚勝太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 錦鷄間祗候、東京府士族 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年三月三日 (1868) | |
親名・続柄 | 大塚盛巍の長男 | |
家族 | 妻 しつ 明七、二生、千葉、士、津田出五女 女 照子 明二八、八生、雙葉高等女學校在學 女 光 明三二、二生 弟 三郞 明二一、一〇生 妹 房 明二九、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊庄内藩士大塚盛巍の嫡男にして明治元年三月三日を以て鶴岡に生る先考盛巍は藩命に依りて維新の際廣く天下の志士と交を結ひ奇傑を以て稱せらる晩年宮城控訴院檢事長となり在官中病を以て逝く君幼にして頴悟明治二十二年七月東京帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得直ちに内務省試補と爲り同二十三年六月内務大臣祕書官に任し傍ら東京法學院の囑托講師となり同二十四年八月長崎縣參事官に轉じ從七位に叙せらる爾來鐵道廳事務官遞信省參事官兼貴族院書記官に歷任し更に法制局參事官を兼ねしか同三十二年四月遞信省鐵道局長に榮轉し同三十七年四月青森縣知事に任せられ幾くもなく本省に入りて土木局長となり同四十二年六月歐米各國並に埃及へ差遣され同四十三年九月長崎縣知事に任し遞信次官に擧けられしも大正三年四月大隈内閣成立に際し職を辭し貴族院議員に勅選され錦鷄間祗候仰付らる曩に日露事件の功に依り旭日中綬章を授けられ同四十二年九月正四位に叙せらる 妹つる(明一四、四生)は山形縣士族工學士富樫良三に同たけ(同二三、四生)は岐阜縣平民今西文造長男卓に嫁し弟勝之丞(同一四、二生、三井物産會社上海洋行勤務)及び妹松枝(同一六、六生)同芳江(同一八、四生)は共に分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、飯田町五ノ三三 電話番町一八四〇 | |
参照人物(親類) | 富樫良三 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | いぬづか かつたろう | |
別名 |