金子堅太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊福岡藩士 | |
職業 | 樞密顧問官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永六年二月四日 (1853) | |
親名・続柄 | 金子清藏の長男 | |
家族 | 妻 彌壽 慶應二、一〇生、熊本、士、山田秀典二女 男 武麿 明三〇、一二生 女 ヤヘ 明一八、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊福岡藩士金子清藏の長男にして嘉永六年二月四日を以て生る明治四年藩主黑田長知侯に随行して米國に航しハーバート大學に入り法律學士の稱號を得同十一年歸朝東京大學豫備門の教員となり爾來元老院權少書記官同大書記官兼太政官大書記參事院議官補内閣總理大臣祕書官樞密院議長祕書官貴族院書記官長等に歷任し同二十三年貴族院議員に勅選せらる同二十四年瑞西國に開設せる國際公法會議に參列して我か學界の名聲を博せり同二十七年農商務次官に任し再ひ貴族院議員に擧けらる後農商務大臣高等捕獲審檢所檢察官司法大臣たりしか方今樞密顧問官の職に在り曩に三十二年ハーバート大學より法學大博士の名譽學位を受け同三十三年五月勳功に依り特に華族に列し男爵を授けられ同四十年九月日露事件の功に依り子爵を授けらる 弟辰三郞(萬延元、三生)は分家し二女キヨ(明二一、四生)は茨城縣平民川崎肇に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、一番町三〇 電話番町七〇 | |
参照人物(親類) | 金子辰三郞、川崎肇 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | かねこ けんたろう | |
別名 |