川村景明 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等、功一級 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 陸軍大將、軍事參議官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年二月二十六日 (1850) | |
親名・続柄 | 野崎吉兵衛の三男 | |
家族 | 妻 セイ 安政三、五生 男 景敏 明四、二生、正五位勳六等、日本郵船株式會社々員 婦 久 明一〇、六生、長男景敏妻、鹿兒島、士、松岡政寬妹 婦 豊 明二四、五生、亡二男弘妻、東京、平、圖師民嘉三女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士野崎吉兵衛の三男にして嘉永三年二月二十六日を以て生る幼名を源十郞と云ふ先代川村新左衛門の養子となり家督を相續す明治四年陸軍々曹となり同七年佐賀の亂に功あり大尉に進み爾來累進して三十八年一月陸軍大將に陞任し前記の職に在り日清の役には近衛步兵第一旅團長として各地に轉戰し勳功あり功三級金鵄勳章を賜はり華族に列し男爵を授けらる日露戰役に際しては第一師團長第十師團長鴨綠江軍司令官として偉功を奏し凱旋の後功一級金鵄勳章を賜はり子爵に陞せらる 家族は前記の外五男景一(明二七、一〇生)孫景友(同三一、四生、長男景敏長男)同加奈(同三四、八生、同二女)あり 長女ヱイ(同一二、三生)は鹿兒島縣士族成田正峯に二女テル(同二〇、四生)は宮崎縣人猪狩哲夫長男亮介に嫁し四男盾夫(同一八、三生)は京都府士族岩崎彦松の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山北町四ノ六五 電話芝一五八 | |
参照人物(親類) | 圖師民嘉、成田正峯、※窪田四郞 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | かわむら かげあき | |
別名 | 源十郞 |