川村景明 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳二等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 陸軍中將第十師團長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年二月二十六日 (1850) | |
親名・続柄 | 野崎吉兵衞の三男 | |
家族 | 妻 せい 安政三年五月生 男 景敏 明治四年二月生 婦 久 明治十年六月生男景敏妻鹿兒島縣縣士族松岡政寬妹 男 弘 明治十三年十月生 女 てる 明治二十年四月生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士野崎吉兵衞の三男なり嘉永三年二月二十六日を以て生る幼名を源十郞と云ふ明治四年同縣士族故川村新左衞門の養子となり家督を相續す夙に勤王の大志あり維新の際伏見鳥羽の役大に舊鬪して功を奏す明治四年陸軍々曹となり同七年佐賀の亂に功あり陸軍中尉に進み同卅年陸軍中將に歷進し同三十四年現職に補せらる其間仙臺鎭臺第四聯隊長熊本鎭臺參謀長參謀本部第一局長步兵第八旅團長近衞步兵第一旅團長等の榮職にあり同二十八年日清戰役の際宇品を出發し大連灣に向ひ旅順口より臺灣等の各地へ轉戰し同年功三級金鵄勳章を賜ひ勳二等に叙せられ華族に列し男爵を授けらる 家族は尚ほ男盾夫(明治十八年三月生)同景一(同二十七年十月生)孫景友(同三十一年四月生男景敏男)同加奈(同三十四年八月生男景敏女)あり 女ゑい(同十二年三月生)は鹿兒島縣士族成田正常三男に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市赤坂區青山北町四ノ六五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | かわむら かげあき | |
別名 | 源十郞 |