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大竹多氣 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位、勳三等
爵位・身分・家柄北海道士族
職業工學博士、米澤高等工業學校長兼特許局技師
性別男性
生年月日文久二年十月七日 (1862)
親名・続柄 松田俊藏の四男
家族妻 ヨシ 明八、一一生、東京、士、原田金次郞妹
男 虎雄 明二六、一〇生、第一高等學校在學
女 暢子 明二九、九生、學習院女學部卒業
記述部分(略伝)君は舊會津藩士松田俊藏の四男にして文久二年十月七日を以て凾館に生る幼にして同藩士大竹作右衛門の養子となり明治三十六年九月家督を相續す同五年東京に出て近藤眞琴の門に遊ふ同十年工部大學に入り機械學を學ひ十六年卒業して千住製絨所の雇員となり同十八年製絨事業研究の爲め歐洲留學を命せられ英國「リーヅ」大學に入り色染法機織術を學ひ同二十一年優等を以て卒業し後英獨佛瑞諸國の工場を視察し二十二年歸朝翌年千住製絨所技師に任せらる同三十二年再ひ歐洲に差遣せられ同三十四年八月工學博士の學位を受け翌年四月千住製絨所長に進み後特許局技師兼任を命せらる同四十三年東北帝國大學農科大學教授兼特許局技師に轉任し翌四十四年八月米澤高等工業學校長に任し特許局技師兼任を命せられ現に其職にあり此間海外に差遣せられたること數回又内國勸業博覽會審査官東京帝國大學工科大學講師東京高等工業學校講師として二十有餘年間本邦染織工業のため盡したる功續大なり曩に本邦工業界に貢獻したる廉により藍綬褒章を日露戰役の功により勳三等旭日中綬章及年金を賜ふ
家族は尚三男千里(明三四、一〇生)あり
住所・電話番号東京、小石川、久堅町二五 電話番町二七一一
参照人物(親類)原田金次郞
参照次数2 (※なし1)
読みおおたけ たけ
別名
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