乙竹岩造 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 三重縣士族 | |
職業 | 東京高等師範學校教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治八年九月二十九日 (1875) | |
親名・続柄 | 乙竹數男の長男 | |
家族 | 父 數男 嘉永三、一〇生 母 たちゑ 安政元、一一生、三重縣人池永守平長女 妻 あい 明二一、一二生、三重、平、御木本幸吉四女 男 誠 明四三、七生 弟 清五郞 明二三、一〇生 妹 貞 明三一、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は三重縣士族乙竹數男の長男にして明治八年九月二十九日を以て生れ明治三十一年七月家督を相續す三十二年三月東京高等師範學校文科を卒業し九月同校教諭に任し高等官八等に叙せられ十二月正八位に叙せらる三十六年七月教育倫理及教授法研究の爲め獨英米の諸國に留學を命せられ三十七年三月同校教授に昇進し四十年六月文部省視學官に任せらる四十一年九月再ひ同校教授に轉し以て現時に至る 家族は前記の外長女淑子(明四一、一二生)二女教子(大元、一〇生)あり 弟茂郞(明一四、一〇生、橫濱正金銀行天津支店副支配人)は分家し貴族院議員千頭清臣二女國(同二五、六生)を娶り同仲太(同一二、三生、税務監督官)妹りゆう子(同一八、三生、三重縣上野高等女學校教諭)も亦各分家し弟四郞(同二一、六生、工學士、三菱合資會社技師)は叔父池永雅之助の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、小日向臺町三ノ九八 電話番町二一三三 | |
参照人物(親類) | 御木本幸吉、千頭清臣 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | おとたけ いわぞう | |
別名 |