千頭清臣 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 錦鷄間祗候、東京府士族 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政三年十一月八日 (1856) | |
親名・続柄 | 千頭清雄の二男 | |
家族 | 兄 清巢 嘉永元、一二生、現戸主 嫂 峯 嘉永三、一一生、兄清巢妻、高知士、西野彦内長女 妻 德 明元、七生、鹿兒島、士、本田親之長女 男 暎臣 明三五、八生 甥 直雄 明六、一生、兄清巢二男、東京市電氣局事務員 甥妻 ツル 明一六、七生、甥直雄妻、京都、士、矢橋久視三女 甥 庸哉 明一一、六生、兄清巢三男、勳七等、東京美術學校助教授 甥 清 明二四、六生、兄清巢四男、早稻田大學商科在學 女 茂 明三一、七生、雙葉高等女學校在學 | |
記述部分(略伝) | 君は舊高知藩士千頭清雄の二男にして安政三年十一月八日を以て生る夙に東京大學文學部を卒業して文學士の稱號を受け東京大學豫備門に教鞕を執れり明治十九年英國へ留學し第一高等中學校教諭となり以後高知縣尋常中學校長鹿兒島高等中學造士館教授第二高等學校教授内務書記官兼參事官大臣官房文書課長栃木宮城新潟鹿兒島の各縣知事に歷任し同四十年貴族院議員に勅選せられ現に其職にあり日露事件の功により勳二等に叙し重光章を賜はり正四位に陞叙せらる曩に英國皇帝陛下よりコンマンダー、オブ、ゼ、ヴイクトリアン、オーダー勳章を贈與せられたり 姪貞(明二、一九生、兄清巢長女)は東京府人秋山久作四男愛次郞に長女安(同二二、七生)は高知縣人川島保次郞に二女國(同二五、六生)は三重縣士族乙竹岩造弟茂郞に妹久壽猪(慶應二、六生)は東京平民杉浦重剛に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東、麴町、下六番町一〇 電話番町二七六〇 | |
参照人物(親類) | 乙竹岩造、杉浦重剛、※男爵千田嘉平 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | ちかみ きよおみ | |
別名 |