戸塚文雄 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 醫師、ドクトル、デル、メヂチーン | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十一年十二月八日 (1878) | |
親名・続柄 | 戸塚文海の二男 | |
家族 | 母 たま 安政元、一二生、靜岡、士、久保利恒長女 妻 たか 明二一、一二生、東京、平、佐々水愼思郞二女 弟 幸民 明二五、二生 弟 五郞 明二七、七生 妹 正子 明二二、六生 | |
記述部分(略伝) | 君は故從三位勳二等海軍々醫總監戸塚文海の二男にして明治十一年十二月八日を以て生る君の祖父靜海夙に西洋醫術に志し長崎に至り「ジーボルト」に親炙し業大に進み最も外科に通せり而して竹内伊東等と計りて半痘接種法を輸入せり是我邦に於ける牛痘接種の嚆矢とす父文海は備中の人中桐喜右衞門の子なり靜海其才學を愛し養ふて嗣となし長崎に留學し「ボードイン」に師事す明治五年仕官し後累進して海軍々醫總監となる文海退隱して長男悦太郞其家を繼き君又其退隱の後を承く君は東都に於て小中學の教育を受け明治二十八年四月獨逸に遊學し留る事十年餘業成りドクトル、デル、メヂチーンの學位を受けて同四十一年中歸朝し翌四十二年三月醫業を開けり 家族は前記の外長女しづ(大元、九生)あり 養兄環海(安政元、九生)は分家し妹孝(明一八、一生)は岡山縣平民永井敬助二男潜に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、京橋、本材木町三ノ二四 電話本局三八一四 | |
参照人物(親類) | 戸塚環海、佐々木愼思郞、※下村宏 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | とつか ふみお | |
別名 |