杉孫七郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳一等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 子爵、舊山口藩士 | |
職業 | 樞密顧問官、議定官、宮内省御用掛 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保六年一月十七日 (1835) | |
親名・続柄 | 植木五郞右衞門の二男 | |
家族 | 婦 邦 明一八、六生、亡二男竹二郞妻、子爵田村丕顯妹 | |
記述部分(略伝) | 當家は代々山口藩士にして先代彦之進に至り君其後を享く 君實は同藩士植木五郞右衞門の二男にして天保六年一月十七日を以て生る文久二年幕府使節を歐洲に派遣するや君其使者に附隨して渡航し大に得る處あり翌三年歸朝す征長の役參謀となりて幕府の軍を破り鳥羽伏見の役亦參謀として軍に從ふ明治三年徵されて山口藩權大參事に任じ爾來宮内大丞秋田縣令宮内大丞宮内少輔同大輔特命全權公使内藏頭皇太后大夫に歷任し爾來職を宮内省に奉じ同二十年華族に列し子爵を授けらる爾來帝室制度取調委員東宮職御用掛圖書頭に歷任し同三十九年九月樞密顧問官に任じ同三十一年東宮御所御造營局長に任じ尚議定官宮内省御用掛たり 家族は尚孫七郞(明三八、一一生、亡二男竹二郞長男)同英子(同四〇、四生、同長女)同長介(同四一、五生、同二男)同直子(同四二、一一生、同二女)同彦吉(同四四、四生、同三男)同鐘吉(同四五、五生、同四男)同重夫(同三七、四生、三男梅三郞長男)同田鶴子(同三九、二生、同長女)同多嘉子(同四〇、九生、同二女)同盛夫(同四三、三生、同二男)同韶夫(同四五、三生、同三男)あり 三男梅三郞(同六、一〇生)は子爵青木家を相續し二女ウサ(同元、三生)は山口縣士族植木平之丞に三女松(同一〇、七生)は東京府士族河村弘貞長男金五郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、平河町五ノ二二 電話番町六八 | |
参照人物(親類) | 子爵田村丕顯、子爵青木梅三郞、植木平之亟、河村金五郞、※子爵森俊成、※男爵三井八郞次郞 | |
参照次数 | 6 (※なし4) | |
読み | すぎ まごしちろう | |
別名 |