土方久元 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊高知藩士 | |
職業 | 大臣禮遇、議定官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保四年十月十六日 (1833) | |
親名・続柄 | 土方久用の長男 | |
家族 | 孫 久敬 明三一、四生、亡長男久明長男 養子 愛子 明一〇、九生、子爵加藤泰秋三女 | |
記述部分(略伝) | 當家は應神天皇の皇子久良古王の裔土方權太夫の後十數世を經て民部秀久に至る秀久今川一秀に仕へ永正年間斯波義達と引馬野に戰ひて武功あり其子久範今川義元に從ひ七百五十石を領し永祿三年桶狹間の役に戰死す其孫久則山内一豐に仕へ二百石を領す爾後世々山内家に隨身して久用に至る 君は其長男にして天保四年十月十六日を以て生る曾て七卿に隨伴して長州に走り又扈從して筑紫に下れり大に王事に勤勞し維新後徵されて太政官に出仕し爾後内吏内務少輔宮内少輔内閣書記官長宮中顧問官農商務大臣等に歷任し後宮内大臣に任せられ在職十年の久しきに及ふ明治十七年勳功に依り華族に列し子爵を授けられ同二十八年伯爵に陞せられ同二十九年宮内大臣の職を辭し特に大臣禮遇を賜ふ現時議定官たり 妹玉子(明一一、四生)は伯爵東久世通敏に嫁し孫綾子(同一五、六生、亡長男久明長女)は東京の人矢野定幸の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、林町六二 電話番町一六〇 | |
参照人物(親類) | 伯爵東久世通敏、子爵加藤泰秋、※子爵西尾忠方、※子爵吉川元光、※男爵吉川重吉、※窪田文三 | |
参照次数 | 6 (※なし2) | |
読み | ひじかた ひさもと | |
別名 |