石黑忠悳 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳一等、功三級 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | 陸軍々醫總監、貴族院議員、中央衞生會長、日本藥局方調査會長、大倉商業學校理事、大橋圖書館理事、日本赤十字社評議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化二年二月十一日 (1845) | |
親名・続柄 | 平野順作の長男 | |
家族 | 妻 クガ 弘化三、九生、新潟、平、安逹助右衞門二女 男 忠篤 明一七、一生、從五位、山林事務官兼農商務書記官 婦 光子 明二一、三生、長男忠篤妻、法學博士穗積陳重二女 | |
記述部分(略伝) | 君は越後の人平野順作の長男にして弘化二年二月十一日を以て生れ幼名を庸太郞といひ後出て〻石黑氏を襲く弱冠にして勤王攘夷を唱ふ明治四年陸軍に入り軍醫官となり進んで軍醫總監となり久しく陸軍省醫務局長たり日清の役野戰衞生長官として勳功あり同二十八年勳二等に叙せられ功三級金鵄勳章を賜ひ特に華族に列し男爵を授けらる後勳一等に陞叙し現に貴族院議員たる外前記公共事業の要職を占む 家族は前記の外孫忠久(明四二、一二生、長男忠篤長男)同シゲ子(同四四、四生、同長女)同モト子(大正元、一二生、同二女)あり 長女孝(明一五、四生)は法學博士小野塚喜平次に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、揚塲町一七 電話番町三 | |
参照人物(親類) | 穗積陳重、小野塚喜平次、※澁澤市郞 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | いしぐろ ただのり | |
別名 | 庸太郞 |