寺島誠一郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 貴族院議員、八千代生命保險株式會社取締役、株式會社日本製鋼所監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年九月九日 (1870) | |
親名・続柄 | 寺島宗則の長男 | |
家族 | 母 茂登子 天保一三、一二生、鹿兒島、士、曾昌啓長女 妻 きやう 明一三、三生、京都、平、三井源右衞門妹 男 宗從 明四三、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の裔宗俊の後なり宗俊より二十數世を經て宗則に至る宗則夙に蘭法醫學を修め後英國に留學し明治初年出仕して神奈川縣知事兼外國官判事に任ぜられ後外務大臣となり爾來顯要の職に補任し勳功に依り華族に列し伯爵を授けらる 君は其長男にして明治三年九月九日を以て生れ同二十六年六月家督を相續し襲爵仰付らる明治二十年米國に航し費府ペンシルヴニヤ大學に入り同二十八年卒業して理財學士の稱號を得更に轉して佛國法科大學に入り同三十二年法學士の稱號を得同三十五年巴里政治學院外交科卒業證書を得英伊白獨墺土希埃の諸國を漫遊して同三十七年歸朝外務省取調事務を囑托せられ同年九月伏見宮御渡米に付隨行仰付らる翌三十八年外務大臣祕書官に任じ三十七八年事件の功により勳六等に叙し單光旭日章を授けらる現時貴族院議員に擧けられ又八千代生命保險株式會社取締役株式會社日本製鋼所監査役の任にあり 家族は前記の外長女恭子(明三九、五生)二女姿子(同四四、一〇生)あり 弟豐次郞(同四、一二生)は分家し姉たい(慶應三、七生)は鹿兒島縣士族長崎省吾に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、平河町六ノ七 電話番町三四〇 | |
参照人物(親類) | 長崎省吾、三井源右衞門、※三井元之助、※三井武之助、※殿村平右衞門、※和田久左衞門 | |
参照次数 | 7 (※なし2) | |
読み | てらじま せいいちろう | |
別名 |