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加藤弘之 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳二等
爵位・身分・家柄男爵、舊但州出石藩士
職業宮中顧問官、貴族院議員、文學博士
性別男性
生年月日天保七年六月二十三日 (1836)
親名・続柄 加藤正照の子
家族妻 壽々 弘化三年七月生大阪府士族市川兼恭養女
男 照麿 文久三年九月生
男 晴比太 明治三年十一月生
女 ひさ 明治十七年八月生
婦 津禰 明治二年五月生照麿妻東京府士族岩橋靜彦女
記述部分(略伝)君は但州出石の藩士加藤正照の男にして天保七年六月二十三日を以て生る舊名を弘藏といふ長ずるに及び江戸に來り深く洋學を研攻す後幕府に聘せられて開成所教員となり明治元年政體津令取調御用掛に會計官權判事に大學大丞侍讀等に任じ文部大丞大外史外務大丞東京大學綜理元老院議官帝國大學總長等に歷任し二十三年貴族院議員に勅任せられ卅三年錦雞間祗候を仰付らる三十三年五月勳功に依り華族に列せられ特に男爵を授けらる
家族は前記の外孫成之(明治二十六年九月生)同四郞(同二十九年四月生)同雪子(同三十一年三月生)同鋭五(同三十三年十二月生)女多嘉(慶應三年九月生)は明治十七年三月山口縣士族内務總務長官山縣伊三郞妻に嫁す女幸子(明治六年六月生)は新潟縣士族内務技師土木局製圖課長近藤虎五郞に嫁し男竹吉(同九年十二月生)は十八年七月長崎縣士族鳥渡俊猷養嗣子となり女德子(同十一年五月生)は靜岡縣士族古川宣譽長男武太郞に同梅(同十四年二月生)は東京府士族榊原三郞に嫁せり
住所・電話番号東京市麴町區上二番町四四
参照人物(親類)侯爵山縣有朋山縣伊三郞近藤虎五郞加藤照麿
参照次数4
読みかとう ひろゆき
別名弘藏