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井上馨 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正二位、勳一等
爵位・身分・家柄伯爵、舊山口藩士
職業
性別男性
生年月日天保六年十一月廿八日 (1836)
親名・続柄 井上光亨の二男
家族妻 武子 嘉永五年三月生群馬縣士族新田俊純女
養子 勝之助 文久元年七月生
婦 末子 元治元子九月生養子勝之助妻山口縣士族亡小野正路女
記述部分(略伝)君は山口藩士井上光亨の第二子にして天保六年十一月廿八日を以て長州に生る舊名を聞多と云、君維新前後に於て大村益次郞と共に幕兵と戰ひ福山城を陷る明治元年一月參與職に任じ同年九月九州鎭撫總督參謀を經同年五月長崎縣判事兼外國官判事に同年九月佐渡縣知事に同年十月民部大丞兼大藏大丞に同四年七月大藏大輔に同八年十二月議官に歷任し同月特命辨理大臣として韓國に差遣され同十一年參議兼工部卿に同十二年兼法制局長官に同年九月兼外務卿に任じ同十七年十二月特派全權大使として朝鮮國へ差遣され同十八年十二月外務大臣に同廿年宮中顧問官に同廿一年七月農商務大臣に任じ同廿二年十二月麝香間祗候仰付られ同廿五年八月内務大臣に任じ同年十一月内閣總理大臣臨時代理を同廿七年特命全權公使として朝鮮駐剳を仰付られ同卅一年十月大藏大臣に任じ同六月依願免官となり特に前官の禮遇を賜ふ明治二年十一月從五位より同甘九年六月正二位に昇叙せらる同廿七八年事件の功により旭日桐花大綬章を賜ひ又伊國皇帝陛下白耳義皇帝陛下和蘭皇帝陛下布哇皇帝陛下獨國皇帝陛下西班牙國皇帝陛下葡國皇帝陛下澳地利皇帝陛下より貴重の勳章を授與せられ受領し及佩用することを允許せらる
家族は前記の外緣女幸子(明治廿四年一月生男爵新田忠純女)女千代子(明治卅二年十一月生)あり
養女かな(明治八年二月生)は伯爵桂太郞に嫁せり
住所・電話番号東京市麻布區宮村町四〇 電話新橋八二〇
参照人物(親類)伯爵桂太郞、男爵新田忠純井上勝之助
参照次数6
読みいのうえ かおる
別名聞多