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堀田正養 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正四位
爵位・身分・家柄子爵、舊江州宮川藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日嘉永元年二月二十八日 (1848)
親名・続柄 岩城隆喜の八男
家族養子 正亨 明治元年九月生女錫壻養子子爵高木正善養弟
女 錫 明治五年八月生養子正亨妻
記述部分(略伝)當家は加賀守正盛の後なり正盛武州川越の城主となり後信州松本に移封し十萬石に加增せられ又下總國佐倉に轉じ十二萬石を領す其子上野介正信當時の政治を非議したるにより所領を沒せられ其子駿河守正朝に至り更に一萬石を賜ひ江州宮川の城主となる後五代を經て從五位下正誠に至り君其後を承く
君は從五位下伊豫守岩城隆喜の八男にして嘉永元年二月二十八日を以て生る幼名を駒三郞又三四郞と云ふ文久三年先代正誠の養子となり明治二年宮川藩知事に任じ爾後東京市赤坂、下谷、深川等の各區長に歷任し又東京府會副議長東京十五區會議長日本興業銀行設立委員等に擧げられ貴族院議員に當選すること二回
前記家族の外孫義正(明治三十三年三月生)あり
女長子は子爵五島盛光に嫁せり
住所・電話番号東京市牛込區二十騎町二七 電話番町六二
参照人物(親類)子爵高木正善、子爵五島盛光、子爵岩城隆長
参照次数3
読みほった まさやす
別名駒三郞、三四郞