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久松勝慈 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級從四位
爵位・身分・家柄子爵、舊下總國多古藩主
職業
性別男性
生年月日安政二年四月二十日 (1855)
親名・続柄 久松勝行の長男
家族母 操善院 天保五年三月生子爵本多忠敬叔母
妻 昌子 安政五年二月生子爵松平賴孝大叔母
男 勝親 明治二十一年八月生
弟 勝定 萬延元年六月生
記述部分(略伝)當家は菅原道眞の後高辻氏長の後なり氏長より十六代康寬下總國多古一萬二千石を食むそれより十代勝行に至る
君はその長男にして安政二年四月二十日を以て生る明治二年六月家を續ぎ後ち多古藩知事に任じ同十七年七月子爵を授けらる以降下總國山倉神社祠掌等たり同二十七年六月從四位に叙せらる
家族は前記の外女壽子(明治二十三年五月生)同喜久子(同二十五年五月生)あり
弟勝榮(慶應二年三月生)は分家し姉謹子(安政五年九月生)は千葉縣士族大代有鄰に女叙子(同十一年一月生)は千葉縣士族香取勇雄に嫁し同恭子(同十六年一月生)は千葉縣士族大代有鄰の養子となれり
住所・電話番号千葉縣香取郡多古町字高野前二五四四
参照人物(親類)子爵本多忠敬、子爵松本賴孝
参照次数2
読みひさまつ かつなり
別名