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京極高德 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正四位
爵位・身分・家柄子爵、舊讃州丸龜藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日安政五年十一月五日 (1858)
親名・続柄 京極高岑の長男
家族妻 熊子 萬延元年九月生高知縣士族山内豐樹三女
女 久子 明治十一年七月生
同 寅子 明治十七年九月生
同 房子 明治二十年五月生
記述部分(略伝)當家は豐臣秀吉の臣從三位宰相高次の後なり高次江州大津城主として六萬石を領し後德川氏に仕へて若狹一國に越前國敦賀郡を領し九萬二千石を授けらる子忠行出雲隱岐兩國の國主として二十四萬石に加增せられ忠行卒するの後嗣子なきを以て家斷絶したるも同姓主馬高政の男高知再興し五代を經讃州丸龜城主として一萬五千二百十五石を領し從五位朗徹に至り君其後を繼ぐ
君實は香川縣士族京極高岑の長男にして安政五年十一月五日を以て生る幼名久之助又久次郞明治四年當家の養子となり華族學校へ入學し同十九年以降青山御所勤務明宮祗候同勤務を仰付られ貴族院議員に當選すること二回なり
家族前記の外男武治郞(明治十九年三月生)同俊四郞(同十八年七月生)同秀雄(同廿四年四月生)同文彦(同二十五年十一月生)同定(同二十九年八月生)同元吉(同二十九年九月生)同敦(同三十二年八月生)同讓(同三十二年十月生)女道子(同廿三年三月生)同たき子(同二十二年七月生)同茂子(同二十四年二月生)同政子(同二十五年三月生)同包子(同三十一年四月生)の八男五女あり
女八重子(同十二年十一月生)は子爵池田政禮養嗣子政時に養妹藤子(同四年十月生)は子爵有馬賴之に嫁し女富子(同二十七年八月生)は兵庫縣士族澤野淳養女となれり
住所・電話番号東京市下谷區入谷町一四二 電話下谷一一〇
参照人物(親類)子爵池田政禮、子爵有馬賴之
参照次数2
読みきょうごく たかのり
別名