酒井忠惇 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊播州姫路藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十年七月廿八日 (1839) | |
親名・続柄 | 酒井忠悔の四男 | |
家族 | 妻 鉉子 天保十四年六月生男忠精妻東京府士族酒井忠欽七女 男 忠精 明治十三年十一月生 婦 長 明治十三年二月生男忠精妻東京府士族酒井忠信妹 男 常 明治十一年十月生 女 藤子 明治二十年十二月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は德川四郞義季の裔松平親氏の男酒井雅樂頭廣親の後なり世々播州姫路の城主にして當家は其分家なり 君は酒井忠悔の四男にして天保十年七月廿八日を以て生る幼名を幸五郞忠優又勘解由といふ酒井忠夏の後播州姫路三萬石を襲ぎしも維新の際官軍に抗したるを以て蟄居を命ぜらる明治十三年十一月別戸し同日特旨を以て華族に列し同廿二年五月男爵を授けられ同年六月正四位に叙し同月東京上野東照宮副祠官に同二十六年十月久能山東照宮司に補せられ同三十二年六月從三位に叙せらる 家族は前記の外男享(明治廿七年十一月生)あり 女鍈子(同五年二月生)は伯爵立花寬治に同錥子(同六年八月生)は伯爵酒井忠道に同登喜子(同十八年一月生)は男爵淺野養長に嫁し伯爵酒井忠興(同十二年六月生)は養孫に當れり | |
住所・電話番号 | 東京市小石川區水道町五九 | |
参照人物(親類) | 伯爵立花寬治、伯爵酒井忠道、伯爵酒井忠興、男爵淺野養長 | |
参照次数 | 4 | |
読み | さかい ただとし | |
別名 | 幸五郞、忠優、勘解由 |