山本權兵衞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳一等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 海軍中將海軍大臣 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永五年十月十五日 (1852) | |
親名・続柄 | 山本五百介の二男 | |
家族 | 妻 登喜 萬延元年四月生新潟縣平民津波廣三女 男 清 明治十六年十二月生 女 みね 明治十八年十一月生 同 なみ 明治二十年四月生 同 登美 明治二十一年五月生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士故山本五百介の二男にして山本盛榮の弟なり嘉永五年十月十五日を以て生る明治廿四年分家す慶應三年藩主に尾從して戊辰の役奧羽鳥羽に轉戰し明治二年昌平黌開成所等に遊び同三年海軍兵學寮に入り明治七年征臺の役に筑波艦に組乘み海軍少尉補となる後米佛諸國へ航し又獨逸軍艦へ乘組み世界を一週し同十年海軍少尉に任ぜらる同十八年浪速回航員として英國に差遣仰付られ少佐に進み大陸を巡回し軍事を視察す同廿年海軍傳令使となり樺山海軍次官に從ひ歐米に差遣せらる同卅一年海軍中將に歷進し海軍大臣に任ず其間高雄艦長高千穗艦長海軍大臣官房主事海軍省主事海軍省軍務局長等の榮職にあり同二十七八年日清戰役の起るや大本營海軍大臣副官仰付られ次で大總督府派遣中大本營海軍參謀官となり以後武功調査委員臺灣事務取調委員等を命ぜられ同年功に依り功四級金鵄勳章を賜ひ同三十一年正三位に同三十四年勳一等に叙せられ同三十五年日英同盟の勳功に依り特旨を以て華族に列し男爵を授けらる 女いね(明治十二年十月生)は海軍佐官財部彪に同すゑ(同十四年三月生)は愛媛縣平民海軍少佐山路善に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市芝區高輪臺町三二 電話新橋一〇八一 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | やまもと ごんのひょうえ | |
別名 |