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柳澤光邦 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正四位
爵位・身分・家柄子爵、舊越後黑川藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日安政元年三月十三日 (1854)
親名・続柄 武田信之の六男
家族妻 ひさ 文久三年十月生東京府士族那須資毅姉
弟 恭雄 明治十三年四月生
男 光武 明治十四年四月生
女 鉚 明治十六年七月生
同 宣子 明治二十年十二月生
記述部分(略伝)當家は源經基五代義光の末葉柳澤吉保の男經隆の後なり經隆父吉保より別れて一家をなし甞て甲斐國に住せしが後越後黑川に移封す其れより五世を經て光昭に至る君其後を承く
君實は從五位武田信之の六男なり安政元年三月十三日を以て江戸烏森の邸に生る幼名を■七郞又伊織といふ文久二年先代光昭の養子となり其跡を繼ぐ明治元年五月刑部大輔に任じ爾來黑川藩知事大藏省御用掛等に歷任同十七年七月男爵を授けられ同二十三年七月貴族院議員となり同廿九年銀杯を賜ひ同三十年七月正四位に叙せらる
家族は前記の外男光治(明治二十四年六月生)あり
女斐(同九年一月生)は子爵津輕承叙男賴橘に嫁し弟光敏(同三年十二月生)は伯爵柳澤保申養嗣子となり名を保惠と改めて現に其戸主たり
住所・電話番号東京市本所區相生町四ノ八
参照人物(親類)伯爵柳澤保惠、子爵津輕承叙
参照次数2
読みやなぎさわ みつくに
別名