倉橋泰顯 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊公卿 | |
職業 | 殿掌 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十年七月二十九日 (1839) | |
親名・続柄 | 倉橋泰聰の子 | |
家族 | 男 泰昌 明治九年九月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は孝元天皇の皇子大彦命十一代倉橋麿の後裔天文博士三好晴明十八世從三位陰陽土御門久修の二男正三位泰吉の後なり泰吉慶長十七年後水尾天皇の詔勅を奉じ一家をなし倉橋と稱す其子泰房以下六代を經て泰聰に至る 君は其男にして天保十年七月二十九日を以て生る天保十三年一月從五位下に弘化二年因幡介に同三年從五位上に同四年左馬頭に任ぜらる嘉永三年一月正五位下に安政元年四月從四位下に同五月從四位上に文久二年一月正四位下に慶應二年一月從三位に進み明治九年淑子内親王家祗候を仰付られ同十五年京都宮殿勤番を命ぜらる明治二十年正三位に同三十年七月從二位に陛叙せらる 女樂子(明治六年十二月生)は子爵梅園實紀孫實師に妹久子(嘉永二年五月生)は子爵河鰭實文に嫁せり 「戸籍取調中」 | |
住所・電話番号 | 京都市上京區小川町一八 | |
参照人物(親類) | 子爵梅園實紀、子爵河鰭實文、男爵尾崎三郞 | |
参照次数 | 3 | |
読み | くらはし やすてる | |
別名 |