塚原周造 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 東洋滊船株式會社副社長、帝國海上運送保險株式會社相談役、浦賀船渠株式會社長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化四年四月廿日 (1847) | |
親名・続柄 | 塚原忠造の長男 | |
家族 | 妻 今子 慶應三年二月生子爵中牟田倉之助二女 男 周吾 明治廿四年四月生 女 久子 明治十九年六月生 同 留子 明治廿一年八月生 | |
記述部分(略伝) | 君は弘化四年四月廿日を以て生れ塚原忠造の長男なり年十五家を脱して江戸に來り身を寬永寺に寄せ佐藤尚中の門に入り蘭學を修め後開成校に入る又米人某に就きて英學を修め尋て英人「ペーリ」の發兌に關る橫濱新聞記者となり後慶應義塾に入り明治五年大藏省に出仕し爾來内務省少書記官制度取調局事務官三等驛遞官に歷任し十四年管船局長に任し翌年管船局長兼農商務大書記官に任じ後遞信大書記官に任じ管船局長となり二十二年米國差遣を命せられ後職を辭し淺野總一郞と共に東洋滊船株式會社を組織し副社長と爲り尋て浦賀船渠株式會社の創立に與り推されて專務取締役と爲る 家族は前記の外男周輔(明治三十年五月生)同周而(同三十二年四月生)同周策(同三十三年八月生)等あり 女ふみ子(同八年五月生)は岡山縣人薄定吉に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市小石川區茗荷谷町九二 電話番町二四 | |
参照人物(親類) | 子爵中牟田倉之助 | |
参照次数 | 1 | |
読み | つかはら しゅうぞう | |
別名 |