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種子島守時 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級從五位
爵位・身分・家柄男爵、舊種子ケ島邑主
職業
性別男性
生年月日明治十二年十二月二十二日 (1879)
親名・続柄 種子島久尚の二男 **
家族妻 房 明治十三年十月生鹿兒島縣士族種子島保女
記述部分(略伝)當家は桓武天皇の皇子葛原親王の後裔平清盛の末葉信基の後なり信基肥前守に任じ種子ケ島に下向し同地に居住し因て以て氏となす鐵砲傳來の權輿なる時堯は其十四代の孫なり十三四代間は十二島の主として雄を海上に稱せしも豐臣時代には僅に種子屋久惠良部の三島を領し十九代久基に至る久基は始めて日本に甘藷を移植傳播せし鼻祖たり夫より數世を經て久尚に至る男時丸其の後を承く
君は其弟也明治十二年十二月二十二日を以て生れ同十九年兄の後を承け家督を相續し同三十三年華族に列し男爵を授けられ從五位に叙せらる
家族は前記の外女時(明治三十五年七月生)あり
住所・電話番号鹿兒島縣熊毛郡北種子村西之表三六六
参照人物(親類)
参照次数
読みたねがしま もりとき
別名