(明治七年以後ノ戦役ニ死歿シタル軍人軍属ノ遺父母及祖父母扶助ニ関スル法律)
法令番号: 法律第4号
公布年月日: 明治24年12月26日
法令の形式: 法律

提案理由 (AIによる要約)

明治7年以降の戦役で戦死した軍人・軍属の遺族扶助に関する制度は、当初は父母への扶助が不十分であった。明治8年の太政官達では戸主に限って父母への扶助を認め、明治9年の恩給令では欧米の制度を模倣し過ぎて父母への扶助が極めて限定的となった。その後、明治16年の改正で父母への扶助が一部改善され、明治23年の恩給法で妻子と父母が同等の扶助を受けられるようになった。しかし、明治9-10年の戦役で戦死した軍人の遺族には新法が適用されず、困窮する遺族がいるため、これらの者にも恩給による扶助を及ぼすことが本法案の趣旨である。

参照した発言:
第2回帝国議会 貴族院 本会議 第7号

審議経過

第2回帝国議会

貴族院
(明治24年12月7日)
(明治24年12月12日)
衆議院
(明治24年12月16日)
(明治24年12月22日)
朕帝國議會ノ協贊ヲ經タル明治七年以後ノ戰役ニ死歿シタル軍人軍屬ノ遺父母及祖父母扶助ニ關スル法律ヲ裁可シ玆ニ之ヲ公布セシム
御名御璽
明治二十四年十二月二十五日
內閣總理大臣兼大藏大臣 伯爵 松方正義
海軍大臣 子爵 樺山資紀
陸軍大臣 子爵 高島鞆之助
內務大臣 子爵 品川彌二郞
法律第四號
第一條 明治七年佐賀及臺灣ノ役明治九年熊本及山口ノ役明治十年鹿兒島ノ役ニ從軍シ戰鬪若ハ公務ノ爲死歿シ又ハ傷痍ヲ受ケ若ハ疾病ニ罹リ之ニ原因シテ死歿シタル軍人軍屬ノ現存セル遺父母及祖父母ニハ當時ノ法規ニ依リ從軍者ノ寡婦ノ受ケタル若ハ受クヘキ扶助料ヲ給ス
前項ノ戰役ニ當リ臨時軍隊ニ編入セラレタル者及戰地ニ派遣セラレタル軍人軍屬ニシテ死歿ノ原因從軍者ト同シキトキハ其ノ遺父母及祖父母ハ前項ニ依ラシム
前二項ニ揭クル父母祖父母ハ軍人軍屬及臨時軍隊ニ編入セラレタル者戰死ノ時又ハ死歿ノ原因トナリタル傷痍ヲ受ケ若ハ疾病ニ罹リタル時ノ陸海軍兵籍簿中若ハ戶籍簿中ニ在ル者ニ限ル
第二條 第一條ニ當ル父母祖父母アルモ同一戶籍內ニ於テ現ニ扶助料ヲ受クル者アルトキハ其ノ間扶助料ヲ給セス
第三條 扶助料ハ本法施行ノ日ヨリ起算シテ之ヲ給ス
第四條 扶助料ヲ受クル者ノ權利消滅停止及停止中扶助料ノ支給竝ニ扶助料ノ轉給及支給ノ順序ハ現行軍人恩給法ノ定ムル所ニ依ル
第五條 遺父母及祖父母ニシテ廢家其ノ他ノ事故ニ因リ他家ニ入籍シタル者遲クモ本法施行後三箇年內ニ廢家再興又ハ復籍スルトキハ其ノ再興又ハ復籍ノ日ヨリ本法ニ依リ扶助料ヲ受クルコトヲ得
第六條 扶助料ハ轉給ノ場合ヲ除クノ外本法施行ノ日ヨリ三箇年內ニ請求セサルトキハ其ノ權利ヲ抛棄シタルモノトス
第七條 本法ハ明治二十五年四月一日ヨリ施行ス
朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル明治七年以後ノ戦役ニ死歿シタル軍人軍属ノ遺父母及祖父母扶助ニ関スル法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
御名御璽
明治二十四年十二月二十五日
内閣総理大臣兼大蔵大臣 伯爵 松方正義
海軍大臣 子爵 樺山資紀
陸軍大臣 子爵 高島鞆之助
内務大臣 子爵 品川弥二郎
法律第四号
第一条 明治七年佐賀及台湾ノ役明治九年熊本及山口ノ役明治十年鹿児島ノ役ニ従軍シ戦闘若ハ公務ノ為死歿シ又ハ傷痍ヲ受ケ若ハ疾病ニ罹リ之ニ原因シテ死歿シタル軍人軍属ノ現存セル遺父母及祖父母ニハ当時ノ法規ニ依リ従軍者ノ寡婦ノ受ケタル若ハ受クヘキ扶助料ヲ給ス
前項ノ戦役ニ当リ臨時軍隊ニ編入セラレタル者及戦地ニ派遣セラレタル軍人軍属ニシテ死歿ノ原因従軍者ト同シキトキハ其ノ遺父母及祖父母ハ前項ニ依ラシム
前二項ニ掲クル父母祖父母ハ軍人軍属及臨時軍隊ニ編入セラレタル者戦死ノ時又ハ死歿ノ原因トナリタル傷痍ヲ受ケ若ハ疾病ニ罹リタル時ノ陸海軍兵籍簿中若ハ戸籍簿中ニ在ル者ニ限ル
第二条 第一条ニ当ル父母祖父母アルモ同一戸籍内ニ於テ現ニ扶助料ヲ受クル者アルトキハ其ノ間扶助料ヲ給セス
第三条 扶助料ハ本法施行ノ日ヨリ起算シテ之ヲ給ス
第四条 扶助料ヲ受クル者ノ権利消滅停止及停止中扶助料ノ支給並ニ扶助料ノ転給及支給ノ順序ハ現行軍人恩給法ノ定ムル所ニ依ル
第五条 遺父母及祖父母ニシテ廃家其ノ他ノ事故ニ因リ他家ニ入籍シタル者遅クモ本法施行後三箇年内ニ廃家再興又ハ復籍スルトキハ其ノ再興又ハ復籍ノ日ヨリ本法ニ依リ扶助料ヲ受クルコトヲ得
第六条 扶助料ハ転給ノ場合ヲ除クノ外本法施行ノ日ヨリ三箇年内ニ請求セサルトキハ其ノ権利ヲ抛棄シタルモノトス
第七条 本法ハ明治二十五年四月一日ヨリ施行ス