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齋藤恂 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄埼玉縣在籍
職業日本晝夜銀行(株)專務取締役、大森機械製作所(株)取締役、日本精工(株)監査役、安田保善社(名)參事
性別男性
生年月日明治三年十一月 (1870)
親名・続柄 齋藤德三郞の長男
家族妻 とし 明六、三生、埼玉、大垣六郞左衞門二女
男 彌文 明二八、一生、法學士、辯護士、辨理士
婦 靜枝 明三七、九生、長男弘文妻、法學博士添田壽一養子
女 富美 明二九、九生
男 弘武 明三三、一一生
男 弘義 明三八、二生、東京帝國大學農學部在學
男 弘德 明四〇、六生、靜岡高等學校在學
記述部分(略伝)齋藤家は武州日勝村土着の地主農にして代々庄屋役を勤めし家柄なり
君は先代德三郞の長男にして明治三年十一月を以て生れ同四十二年家督を相續す夙に獨逸學協會學校を卒へ同二十九年文官高等試驗に合格直に大藏省試補となり次で同省書記官大藏大臣祕書官等に歷任す後北海道拓殖銀行設立委員となり更に日本興業銀行の創立に參畫して同行理事に就任し監督部長に擧げらる大正四年に至り是を辭し安田家に聘せられて保善社理事に任じ現に同家經營の前記銀行會社の重役として名あり
家族は尚七男弘忠(明四三、一生、靜岡高等學校在學)八男弘孝(同四五、二生)二女節子(大四、三生)三女貞子(同七、六生)の外弟陸夫(明二四、九生)同妻千代(同三六、一〇生、德島、田村マサヱ妹)及其二子あり
二男弘二(同三一、一〇生、工學士)は分家し弟恭三(同八、五生、海軍々醫大佐)も亦同妻ふで(同一七、一一生、男爵坂本俊篤姪)及其子女と共に分家し妹マツ(同一八、五生)は埼玉縣人後上謹吾長男醫師文英に嫁せり
住所・電話番号東京、牛込、北山伏町四 電牛込三〇八
参照人物(親類)男爵坂本俊篤添田壽一、※五十嵐愼一郞、※石塚瀧三、※添田定一、※原耕三、※森本靖男
参照次数7 (※なし2)
読みさいとう まこと
別名
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