鴻池善右衞門 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、大阪府華族 | |
職業 | 鴻池銀行、鴻池信託各(株)社長、加州銀行(株)取締役、鴻池(名)代表社員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年五月 (1865) | |
親名・続柄 | 鴻池喜右衞門の長男 | |
家族 | 妻 ミチ 明二、一生、男爵三井高精姉 男 萬藏 明一六、一一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は關西屈指の素封家にして三代宗利大和川の改修により鴻池新田を開發し家訓を制定し當家の基を建て相傳へて先代喜右衞門に至る喜右衞門も亦善右衞門と稱し幕末大小侯伯の用金調達の衝に當り功を以て商法頭取を仰付けられ帶刀を許さる又維新の際には會計官出納司判事心得を以て明治天皇陛下御東幸供奉被仰付維新後後藤伯と蓬萊社を組織して其頭取に擧げらる 君は其長男にして慶應元年五月を以て生れ明治十七年父の退隱に因り當家第十二代の家督を相續す先代の薰陶を受けて克く家産を守り第十三國立銀行頭取となり同三十三年合名會社鴻池銀行を組織して其業務を擔當し又大阪倉庫會社々長日本生命保險會社々長大阪貯蓄銀行頭取等に推さる同三十九年日露事件の功に依り勳四等に敍し同四十四年特旨を以て華族に列し男爵を授けられ大正三四年事伴の功に依り勳三等に陞敍せらる同十年鴻池合名會社を設立し其代表社員となり同十五年鴻池信託株式會社を起し其社長となる 家族は尚二男福雄(明四四、三生)三男幸武(大三、七生)四男幸久(同五、九生)五男幸清(同七、九生)あり 弟善九郞(明四、二生)は大阪府人鴻池サチの入夫となり新十郞と改名し姉あゐ(文久二、九生)は大阪府人和田久左衞門に妹ダイ(明三、一生)は京都府人大村彦一郞先代彦太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 大阪、東、今橋二ノ一七 電本局一五 | |
参照人物(親類) | 男爵三井高精、大村彦一郞、鴻池新十郞、鴻池萬藏、和田久左衞門、※男爵荒尾之茂、※三井源右衞門 | |
参照次数 | 7 (※なし5) | |
読み | こうのいけ ぜんえもん | |
別名 |