後藤恕作 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 後藤毛織(株)社長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政五年三月 (1858) | |
親名・続柄 | 後藤與平治の二男 | |
家族 | 男 績 明二二、二生、後藤毛織(株)專務取締役 婦 愛子 明二八、六生、長男績妻、故貴族院議員理學博士和田維四郞三女 男 藤五郞 明三七、六生 | |
記述部分(略伝) | 後藤家は元と兵庫縣網干町に定住し酒類商を營みたる舊家なりしが先代與平治に至り江戸に轉住す 君は其二男にして安政五年三月を以て生れ明治十三年家督を相續す同八年故森有禮の清國全權公使として赴任するや伴はれて北京に赴き在留三年語學及び毛織染色學を修め米人ハーリントンに師事す歸朝後同二十五年府下大井町に工場を設けて多年の宿望たる羊毛織人工毛革等の製造を始め業况亦揚る偶々日清日露の役に際會し軍需品を請負ひ巨額の利を博し當家の基礎定まる大正七年營業を株式組織に改め後藤毛織會社と稱し是が社長として今日に至る 家族は尚孫眞固(大一一、二生、長男績長男)同逸子(同五、一生、同長女)同恕子(同八、九生、同二女)あり 二男廣志(明二四、九生)三男待三(同二九、六生)四男又男(同三一、二生)は各分家し二女ツム(同二六、六生、東京女學館出身)は子爵橋本長俊に三女藤枝(同二七、一〇生、出身校同上)は東京府人高羽憲次に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外大井町三五四五 電高輪一二〇四 | |
参照人物(親類) | 子爵橋本長俊、後藤廣志、高羽憲次 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | ごとう じょさく | |
別名 |