嘉納治五郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 兵庫縣在籍 | |
職業 | 貴族院議員、東京高等師範學校名譽教授、講道館長、講道館文化會長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年十月 (1860) | |
親名・続柄 | 嘉納治郞作の三男 | |
家族 | 妻 須磨 明六、九生、故文學博士竹添進一郞二女、華族女學校出身 男 履正 明二三、一一生、國學院大學出身 女 篤子 明四〇、六生、日本女子大學校附屬高等女學校出身 | |
記述部分(略伝) | 君は兵庫縣人嘉納治郞作の三男にして萬延元年十月を以て生れ明治二十四年分家して一家を創立す同十四年東京大學文學部政治學及理財學科を卒業し同十五年哲學撰科を卒業す學習院講師同教授同教頭文部省參事官第五高等中學校長第一高等中學校長文部省普通學務局長東京高等師範學校長等に歷任す同十五年講道館を創設し柔道の硏究指導に從事し現に其館長兼師範たり又講道館文化會を起し其會長たり貴族院議員に勅選され東京高等師範學校名譽教授たり 家族は尚三男履方(明四五、五生)あり 長男履信(同三〇、三生)は外祖父竹添進一郞の家督を相續し長女範子(同二六、一〇生、學習院女學部出身)は東京高等師範學校教授綿貫哲雄に三女夾子(同三一、八生、出身學校同上)は工學博士生源寺順に四女希子(同三二、九生、出身校同上)は三井物産會社倫敦支店在勤畠中恒治郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、大塚坂下町一一四 電大塚三三一 | |
参照人物(親類) | 生源寺順 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | かのう じごろう | |
別名 |